5月12日、演出家の蜷川幸雄さん(享年80)が肺炎による多臓器不全のためにこの世を去りました。蜷川さんとは盟友とも呼べる関係だったジャニーさんをはじめ、ヒガシさんやキムタク、森田くん、三宅くん、ニノ、松潤といった“ジャニーズの教え子”たちが通夜・告別式に参列していましたが、そんなジャニタレと蜷川さんのエピソードをご紹介します。
蜷川幸雄の仕事 [ 蜷川幸雄 ]
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「鬼の蜷川」という異名を持ち、強烈なスパルタ指導で知られた蜷川さん。
これまで、その才能を見い出して輝きを与えた役者さんたちは数知れませんが、視聴率の帝王として君臨してきたキムタクもその一人。
1989年の舞台『盲導犬』で「若くて良い俳優」を求めていた蜷川さんが、盟友とも言えるジャニーさんに「誰かいい子紹介してよ」とお願いして紹介されたのが、後にSMAPの不動のツートップとなる中居くんとキムタクだったといいます。
結果的にキムタクが主演の座を射止めましたが、これはキムタクにとって人生を変えるような大きな転機になったようです。
[以下引用]
2003年に発売された木村のエッセイ集『開放区』の中には、同舞台に関するエピソードが記されている。当時、17歳の木村が厳しい稽古を受けていた頃、ふと家で鏡を見ると「一部分がごそっと真っ白になってた」という。思ったように演技ができない自分に腹が立ち、稽古場のトイレで泣くことあったそうだが、「結局、この舞台の経験が今の仕事をちゃんとやっていこうっていうきっかけになった」と、木村は語っている。
そんな木村は今回の訃報に対し、「自分が今あるのも、当時右も左も分からなった自分に“人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ”を教えていただけたからだと思います」と感謝の言葉を述べつつも、「少し前に“俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!”って言ってもらったことが、今頭から離れません」と、悔やんでいた。
[サイゾーウーマン]
当時、まだ少年だったキムタクをとことん追い込んだことが、その後の“あり得ない”キムタクフィーバーの源になったことは確かでしょう。
蜷川幸雄はホモ?を探していたら木村拓哉に行き着いた
そう考えると、蜷川さんがいなければ今のSMAPは存在していなかったのかもしれません。
※キムタクが語る“六本木暴言エピソード”の真実
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今年3月に日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞したニノも、蜷川門下生の一人です。
二人の出会いは、今から14年前にまで遡るそうで…
[以下引用]
「2003年に公開された映画『青の炎』で蜷川さんは監督を務めました。その主人公を演じたのが、当時19歳の二宮だったのですが、まだ俳優としての実績も少なく、“人気アイドルが蜷川に抜擢された”といった報道が多かったですね」(芸能関係者)だが、最初の台本読み合わせは惨憺たる有様だったという。どうしてもテレビドラマ風のイントネーションになってしまう二宮に、蜷川さんは厳しい言葉を放った。
「いまは『嵐』じゃねえんだぞ。本当の二宮君を見せろ、隠された喜怒哀楽を出せ!」
そして蜷川さんは、こんなアドバイスをしたという。
「怒っているときや悲しいときでも、逆に笑ってみせるほうが、より感情を表現できることもあるんだ」
二宮はそんな蜷川さんの一言一言をまるでスポンジが水を吸い込むように、どんどん吸収していったのだ。無事撮影が終了したころ、蜷川さんは教え子・二宮へのメッセージをつづった手紙を本誌に公開している。
《いざ読み合わせすると下手で最悪、家へ帰って女房に言ったんだよ。「二宮君、下手でさァ」って(笑)。でも撮影に入ったらすごくよかった。勉強したんだね。頭よくて勘もいいから、“こうならないかな”って言うだけでわかってくれて、あとはほっとけばよかった》(本誌’03年3月25日号)
“世界のニナガワ”の指導で二宮は役者として覚醒する。この手紙も、彼にとって大きな自信となったに違いない。3年後の’06年には映画『硫黄島からの手紙』に出演し、その演技力がアメリカでも高い評価を受けた。‘03年、本誌が映画会社で『青の炎』について、蜷川さんをインタビューしたときのことだった。
「ニノはね、すごいんだよ」
ニコニコしながらそのセリフを連発する蜷川さんへ挨拶するため、取材現場に現れたのが、藤原竜也だった。藤原といえば、’97年に蜷川さんが演出した舞台『身毒丸』でデビューしており、“蜷川門下生”の代表格だった。そして彼が立ち去った後、蜷川さんは笑ってこう言ったのだ。
「アイツさ、実はニノに嫉妬しているんだよ。『青の炎』の撮影現場を見に来たときに、オレが『ニノの(演技が)がいいんだよ』なんて、言っちゃったものだからね。だから今みたいに、こまめに挨拶に来たり、本当に困っちゃうよね」
[女性自身]
なんだか、蜷川さんの教え子たちに対する愛情が伝わってくるエピソードです。
ちなみに、「女性自身」に掲載された蜷川さんからニノへの手紙は、《また一緒に仕事しような。早くしないと俺は死んじゃうぞ(笑)》という言葉で締めくくられていたんだとか。
今回の訃報を受けて「驚きました。本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れ様でした」とコメントしていたニノ。
“約束の舞台”は実現しなかったものの、蜷川イズムをしっかりと受け継ぎ、今後も素晴らしい役者として活躍してくれることでしょう。
その他にもヒガシさんや松潤、斗真くん、亀梨くん、上田くんなど、蜷川さんに鍛えられて役者として大きく成長したジャニーズタレントはたくさんいます。
松本潤がスパルタ蜷川幸雄氏のもとで一皮剥けるか!?
その中でも「ちょっとひねくれてる子が好き」だという蜷川さんにとって、森田剛くんはとても強い印象を持った役者さんだったようです。
[以下引用]
蜷川氏に森田を引き合わせたのもジャニー氏だったという。蜷川氏は初めて出会った頃の印象について、「“おまえ野ねずみか?”って。『よくジャニーズ事務所にいられるよね』って言ったら、(森田は)『全然何も言われないです』って言ってたけど」と語っており、「森田くんとか、ああいう変わった子をちゃんと面倒見てる。ジャニーさんところは懐が深い」と妙に感心していた。森田は「2010年の『血は立ったまま眠っている』で、初めてご一緒させてもらった時、『やっと会えたね』と優しく握手してくれました」「『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回、会いたかった」と、コメントに寂しさをにじませた。
[サイゾーウーマン]
森田くんといえば、2013年の「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」に続き、今年8月に上演される舞台「ビニールの城」が蜷川作品の3作目となる予定だっただけに、さぞかし残念な気持ちで一杯でしょう。
ですが、森田くんは今ではジャニーズを代表する“舞台役者”として、数々の作品で高い評価を受けていますし、そんな姿を師匠も喜んでくれているはずだと思います。
森田剛が岡田准一に対抗心!「ヒメアノ~ル」でライバル超えを果たす!
※蜷川幸雄がジャニーズタレントを使う意外な理由
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最後にジャニーさん。
2015年の元旦に放送された「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」では、珍しくジャニーさん自身が登場して面白いトークを展開してくれました。
その時、「ジャニーさんのテクニカルな後継者がいない」ことを案じる蜷川さんに対し、ジャニーさんは「蜷川さんはさすが、大人の世界なんですよ。我々には子どもの世界しかないわけ。僕、できないですもん。はっきり言ってこれは。羨ましいですよ」と、尊敬の念を明かしていました。
「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならなんてずるいよ」という追悼コメントに、ジャニーさんの残念な気持ちが表れています。
蜷川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
蜷川幸雄の稽古場から (クルック) –
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