今や誰もが認めるトップアイドルとなった嵐・相葉雅紀くんですが、デビュー前には、芸能界でやっていくのが無理なら料理人になろうと考えていたそうです。
その他にも、相葉ちゃんの考え方が良く分かるエピソードを見つけたので、どうぞ。
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※相葉ちゃんの笑顔、癒されます…
ミニマム嵐3相葉雅紀 / Johnny’s ジャニーズ研究会 〔単行本〕[関連商品]
[以下引用]
相葉雅紀といえば、いつも全力で走りながら、どんな時も本気で楽しんでいる「嵐」というグループの魅力を象徴しているようなメンバー。子供のような無邪気さとユーモアを保ちながらも、成熟した思いやりを感じさせる彼は、どんな幼少期を過ごしたのだろうか? 千葉県に生まれた彼は、商売で多忙な両親に代わって、幼い頃から、祖父母に育てられたそうだ。「千葉といっても田舎のほうだし、昔ながらの暮らしの中で育ったんですよね。毎年、家族でたけのこ掘りに行ったり、お正月にはもちをついたりして。じいちゃんの近所づきあいにも、よくついていったなぁ。うちのおばあちゃんは、近所のお年寄りにお灸しにいってあげるような人だったんです。そういうのもマネしたがってたな」
そんな大らかな彼が、どうしてジャニーズ事務所に入ることになったのか?ここでも、彼が育った『千葉』というキーワードが深く関係してくる。
「完全に見切り発車だったけど、千葉の幕張の子からすると、東京に出ること自体が一大イベントだったからさ。学校でも『昨日、オレ、東京に行ってきたよ』って得意げに言える(笑)。最初はそれがモチベーション。そのうち、同世代のジャニーズJr.と一緒にいるのが楽しくなった」
そしてジャニーズJr.の番組ができ、コンサートをやるようになり…と順調な階段を上ってきた相葉だが、デビュー前にはこんなことを思っていたそうだ。
「20歳まで続けて、仕事として成立しないようなら料理人になろうと思ってた。家も中華屋だし、オレ、長男だしね。だから、絶対、デビューしなきゃとは思ってなかったし、食っていけないなら実家を継ぐのが当然かなって」
そんな未来を描いていた彼だが、現在は、「結果を求めて今を生きるのではなくて、ただ、懸命に生きた今があれば、結果はなんでもいい」と、語る。「先のことを考えられないのは、性格も大きい」と笑うが、そこには『相葉哲学』とも呼べる力強さが感じられた。
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SMAPとバスケがしたくてジャニーズ入りを決意して、実際にオーディションの日にバスケットボールを持参したというのは有名な話ですが…
「東京に行ったと自慢できる」というのがそもそものきっかけだったというのも、いかにも相葉ちゃんらしいエピソードですね^^;
ただ、相葉ちゃんの場合は1996年に13歳で入所後、わずか3年でデビューしてますから、順調に駆け上がってきたといえるのではないでしょうか?
もちろん、「嵐」が今の人気を得るまでには、たくさんの苦労があったと思いますけれど。
※相葉雅紀の出身高校には意外なアノ人も!
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「結果を求めて今を生きるのではなくて、ただ、懸命に生きた今があれば、結果はなんでもいい」という潔い考え方を持っていた相葉ちゃんだからこそ、今の結果があるのでしょうか。
以上、とても奥深い「相葉哲学」でした!
※応援してます!
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