櫻井翔の学生時代の意外なこだわりエピソード。友達と渋谷の立ち食いそばやHMV、ゲームセンターに入り浸り…

嵐メンバーの中でもインテリ路線を爆進中の櫻井翔くん。昔は“嵐”よりも“慶應ボーイ”であることに誇りを持っていたと言われる彼ですが、学生時代は普通の男の子として青春をエンジョイしていたようです。

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[以下引用]
《俺は嵐でいることよりも、慶應生でいることのほうが誇りだ》

1999年のデビュー当時、慶應義塾高校の3年生でもあった櫻井翔。幼稚舎から大学までの16年間を過ごした“慶應”への思い入れは並大抵ではないようだ。

しかし、その学生生活は意外と庶民的。友達とよく立ち寄っていた店も大手立ち食いそばチェーンの『富士そば』。

その結果、櫻井の意見が通って、周囲も付き合わされることに。本人は数百円のきつねそばやわかめそばを、けっこうおいしそうに食べて満足していた

仕事と学業の両立は大変だったようだで、こんな苦労話も。

「親からは“絶対に留年するな”とキツく言われていたうえ、彼の通っていた経済学部はなかなか厳しかった。毎年コンスタントに単位を取らないといけないので、テスト期間中はドラマの撮影スケジュールを調整してもらったりしながら、現場にもノートやプリントを持ってきて、ちゃんと勉強していました」(元側近スタッフ)

そのかいあって無事、4年で卒業。しかも、それなりに遊んでもいた。

「渋谷には、学校帰りの電車で乗り換えをせずに行けますから、よく遊んでいたみたいですよ。当時は“ギャルサー”とか“トランス”とか、若者のカルチャーの中心は渋谷でしたからね」(前出・元側近スタッフ)

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渋谷といえば、Jr.の番組が収録されるNHKもある。

「高校時代から、友達と一緒によく学ランで渋谷にいたようです。松本クンや生田斗真クンとも、収録終わりにセンター街にあるゲームセンターでよく遊んでいました」(前出・元側近スタッフ)

また渋谷にはもうひとつ、櫻井にとってお気に入りの場所が。それがCDショップの『HMV』だ。

「ハタチ前後のころは休みさえあれば、学校の同級生と一緒に入り浸っていましたね。1階から順に最上階まで、何時間も視聴し続けるんです。そして、買ったCDを実家の部屋の壁に積んで、それを眺めるのが至福のときだったと。積み上がった高さを見て“オレは音楽をよく聴いてるな”“アーティストっぽいな”と気分をよくしていたわけです」(別の元側近スタッフ)
[週刊女性PRIME]

立ち食いそば屋さんに通う高校生…渋い、渋すぎる。。

お父さんも高級官僚ですし、お金持ちのお坊っちゃんというイメージがある慶應ボーイにしては、意外な好みというか…

でも、芸能界の仕事をしながら大学でもきちんと単位を取って、さらに友達とクラブイベントやパーティーに参加するなどかなり遊んでいたようですから、ご飯をゆっくり食べてるヒマなんてなかったのかな?

まるで、仕事も遊びもバリバリこなすエリートサラリーマンみたい。

嵐に入っていなくて普通に就職していたとしたら、お父さんみたいなキャリアになっていたかもしれないですね。。

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コメント

  1. より:

    嘘ばっか
    櫻井くんはタワレコ派
    仕事現場に勉強を持ち込んだのは最初のテストのときだけ
    集中出来なくて以降一度も持ち込んでない

  2. ばらし より:

    今はいい人を演じてるけど昔は素行悪くてチャラかったもんね

  3. ももも より:

    側近とか近しい人的な情報提供者って本当に近くにいた人?
    もう嘘が多すぎて乾いた笑いしか出ませんよw

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